どうして往生できるのか
11月30日(金)は、高田短大で仏教専門講座があり、午後から仏教学講読Ⅱを講義することになっていました。
だから午前中その準備をしたかったのですが、午前9時半から健康診査の予定が入っていました。
そこで、病院へ行こうとしたのですが、いくら探しても、受診券が見つかりません。(O.O;)(o,o;)
仕方なく病院に電話すると、一志総合支所で再発行してもらえるとのこと。
早速行ってみると、本庁なら窓口で再発行してもらえるとのことでした。
津市西丸之内の本庁へ行くと、すぐに再発行していただきました。
そして病院へ行き、無事、健康診査を受けることができました。
ただ午前中それで時間を使ってしまい、専門講座の準備は全くできませんでした。(自業自得)
とりあえず短大へ行って、講義を始めたのですが、資料を忘れてきてたり、配布すべきプリントを配布してなかったり……。準備不足がモロ分かりでした。(^_^;)
受講生のみなさん、すみませんでした。
とりあえず、今回は、二河白道の譬えについてお話しし、それから、どうして善導は九品すべて凡夫としたのか、そして、どうして五逆罪の悪人が往生できたのか、さらに、なぜ釈尊は散善を自ら説いたのか、というようなことについて、お話しさせていただきました。
私たちがどのような縁に遇おうとも、私たちを必ず往生させる、というのが、阿弥陀仏の本願です。
その本願の念仏によって、私たちは往生します。
往生には、私の心の善し悪しは、まったく関係ありません。
私の心が善くて往生するのではありませんし、私の心が悪くて往生できないのでもありません。
私の心や私の行為は、何の役にも立たなければ、何の障りにもなりません。
私たちは、阿弥陀仏の「念仏して浄土に生まれてきておくれ」という願いを聞いて、ただ念仏申すだけです。
「あなたを必ず往生させる」という本願力によって、私たちは往生するのですから。
大事なものなのに失ったり、忘れたりして、人に迷惑をかけているこの私を、阿弥陀さまは忘れることなく、呆れることもなく、ずっと照らしてくださっています。
むしろ、そういうお前であるからこそ、救わずにはおれないのだよ、とおっしゃってくださいます。
いつ死ぬともしれない私ですが、いつ死んでも大丈夫なように、準備万端、往生の手はずを整えてくださっています。
往生したいと思ってもいない私なのに、必ず往生させるとはたらいてくださっています。
頼んでもいないのに、ずっとこの私を救おうとはたらき続けてくださっていることが、申し訳なくて、ありがたくて、だから、私は、ただお念仏申すばかりです。
南無阿弥陀仏