還相回向

7日(水)は、津中日文化センターで「浄土三部経を読む」の講座の日でした。
今回は、48願の内、第21願から第40願まで読みました。

その中の第22願を、親鸞聖人は「一生補処(いっしょうふしょ)の願」、「必至補処(ひっしふしょ)の願」、また「還相回向(げんそうえこう)の願」と呼ばれました。

一生補処」とは、「一生を過ぎれば仏の位(仏処)を補うべき地位」という意味で、一生補処の菩薩は次の生涯には仏になることが決まっています。

たとえば、弥勒菩薩は、今は兜率天にいらっしゃいますが、次の生には仏に成る(釈尊の次の仏)と言われている菩薩ですので、「補処の弥勒」と呼ばれています。

つまり、補処とは、一番仏に近い菩薩(その位階)のことです。
そういう菩薩に必ず至ると誓われているのが、第22願です。
なので、「必至補処の願」と呼ばれるわけです。

また、この第22願には、人々を救う普賢の徳も誓われているので、親鸞聖人は「還相回向の願」と呼び、穢土に還ってきて、人々を救う還相回向が誓われた願と見られました。

還相とは、「来穢国(げんらいえこく)の状」のことで、穢土に還ってくることです。

また、浄土に往生し、仏に成ったものが、穢土の人々を救うために、再び菩薩になるわけなので、「従果因(じゅうかげんいん)の状」(仏という果から再び因である菩薩に還ること)という意味での「還相」ともいえます。

親鸞聖人は、浄土に往生したものが再び穢土に還ってきて人々を救うのも、阿弥陀仏の願いのおかげであり、阿弥陀仏の回向の賜物と見て、還相回向と呼ばれました。

お浄土に往生すれば、あとはゆっくりのんびり過ごす、というわけではありません。
お浄土に往生したら、今度は仏となり還相の菩薩となって、娑婆の人々を救うという大仕事が待っているのです。
また、そうやって還相の菩薩たちが私たちにはたらきかけてくださっているから、今、私たちは仏教を学んでいるのでしょう。

そんな話をさせていただきました。

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