摂取不捨(せっしゅふしゃ)
10月10日(水)、午前中は、当寺の清掃奉仕の日で、今回は宇気郷・中郷地区のみなさんに来ていただき、来たる永代経法要に向けてきれいに清掃していただきました。みなさん、ありがとうございました。
午後からは、高田本山で坊守会があり、
「十方微塵世界の 念佛の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」
という和讃についてお話ししました。
「(阿弥陀仏は)すべての念仏するものをご覧くださって、必ず救い取り、絶対にお見捨てにならないから、阿弥陀と申しあげるのです」という意味の和讃です。
ですから今回は、特に摂取不捨ということについてお話しさせていただきました。
摂取不捨とは、阿弥陀仏のお救いを表す言葉で、「摂取」とは「必ず救う」ということ、「不捨」とは「絶対見捨てない」ということです。
そのことを、有国遊雲さんの話を紹介して、説明させていただきました。
有国遊雲さんは、小学校6年生の時、右足のすねに腫れ物ができました。小児がんでした。
その後3年間の闘病生活を経て、中学3年のとき15才でお亡くなりになりました。
小児がんが分かったとき、お父さんの有国智光さんは、その事実をそのまま、息子の遊雲さんに伝えました。そして、こう付け加えました。
「でも、何があっても、大丈夫だからね」と。
その言葉について、智光さんは、こうおっしゃっています。
「この言葉を言わせてくださったのは如来さま、そして、それを本当にしてくれたのは遊雲だったのです」と。
「何があっても大丈夫」とは、摂取不捨のゆえに言えることでしょう。そういう話をさせていただきました。
みなさん、熱心に聞いていただきました。ありがとうございました。
次回の坊守会は、11月16日です。