応真僧正

應真僧正
昨日の堯真上人のお名号には、「應真僧正」と書かれていました。

しかし、応真上人は、大永2年(1522年)12月に大僧都に任じられ、天文6年(1537年)にそのまま大僧都で生涯を終えられたので、生前は僧正になっていません。

応真上人に「権僧正」が追贈されたのは、永禄3年(1560年)2月25日のことで、応真上人の後を継がれた堯慧上人の尽力によるものでした。

その経緯は、「年行事空頊申状土代」に書かれています。

それによると、応真上人は、生前、僧正位の勅許を求めていたそうですが、うまくいかないまま生涯を終えたので、次代の堯慧上人は、大覚寺門跡を介して武家に働きかけ、応真上人への僧正贈号を得たそうです。

したがって、「應真僧正」と書かれたこのお名号は、永禄3年(1560年)以降のものといえます。

まあ、堯応こと堯真上人は、天文18年(1549年)生まれですから、永禄3年当時まだ12歳です。ですから、このお名号を書いたのは、当然それ以降になりますよね。

とはいえ、応真上人が、真慧上人から専修寺住持職を譲られ、参内して後柏原天皇に拝謁し、綸旨を賜ったのは、応真上人13歳の時ですから、昔の人は幼くしてしっかりしていたとも考えられますけど。(^^ゞ