阿弥陀さまのはたらきの中

今日は、高田短大で授業がありました。
黒板にいっぱい書いたので、写すのが大変だったと思いますが、みんな熱心に聞いてくれました。ありがとう。

家に帰ると、一冊の冊子が届いていました。

「お西の歴史と教学にふれる」さっそくその中にあった三浦真証さんの「江戸時代の本願寺派教学史-衆生のはからいと弥陀のはたらきの歴史」を読ませて頂きました。

江戸時代の本願寺派の三大法論が、要領よく、分かりやすく、簡潔にまとめられていて、でも押さえるべきところはちゃんと押さえてあって、とてもおもしろかったです。

「例えば、私が往生できるのは阿弥陀さまが願ってくださっているからだと言いながらも、心のどこかで「私はこんなに聴聞したんだから」「私はこんなに念仏したんだから」「私はこんなに理解しているんだから」というような、自分の中に功績を認め、だからこそ救われるという思いを私たちは持っていないでしょうか。(中略)「自分はこんなにしたんだから」という生き方には安らぎはありませんし、そんな生き方は周りにも安心を生みません。だから親鸞聖人は「自力では救われない」と言われたんだと思います。」(14-15頁)

「すべては阿弥陀さまのはたらきの中で生きさせていただいている、それが私たちの本当のいのちのあり方なのです。仏に手を合わすはずのない私が仏に手を合わせるようになったのはなぜですか。仏法を聞かなかった私が仏法を聞かせていただく身となったのはなぜですか。それを思えば、お念仏の教えが衆生の側に因をこしらえる教えではなかったことがご理解いただけるのではないでしょうか。」(32頁)

すぐに自分の手柄にしようとする私たちに、諦めることなく根気よく教え導き続けてくださっているのが阿弥陀さまです。そのおかげで、私も気付かせていただきます。自分の手柄なんて何もなかったことを。すべておかげさまであったことを。すでに阿弥陀さまのはたらきの中につつまれている自分であったことを。ずっと阿弥陀さまに導かれていた自分であったことを。南無阿弥陀仏

シャクナゲ