命ある限り

仏教入門日曜講座今日は、仏教入門日曜講座でした。

今回は「すべては移りかわる」ということ、そして「すべては縁によって起こる」ということをお話ししました。

その例として、宮越由貴奈(みやこしゆきな)ちゃんの話をしました。

由貴奈ちゃんについては、昔、高田短大の宗祖降誕会で話したことがあるので、その時の記事をご覧ください。昔のブログの記事ですけど。

  宗祖降誕会「いのちということ」

ついでに、その講話を聞いた学生たちの感想にもリンクを張っておきます。

  「いのちということ」を聞いて

久しぶりに由貴奈ちゃんの話をするので、今日は『電池が切れるまで』と『「電池が切れるまで」の仲間たち』を読み返していました。

そして、お話しして、最後、合唱曲「命ある限り」を聞いて、やはり、こう思いました。

精一杯、生きよう、と。

さて、せっかくですので最後に、由貴奈ちゃんの「命」という詩を引用しておきます。

 「命」

       宮越由貴奈(小学四年)

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそうかんたんにとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様からあたえられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんかいらない。」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさんの命はつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう

(すずらんの会編『電池が切れるまで-子ども病院からのメッセージ-』より)

この詩を書いた4ヶ月後、由貴奈ちゃんは11歳で亡くなりました。命が疲れたと言うまで、精一杯生きて。

そして、今も、私たちに教えてくれています。命の大切さを、はかなさを、そしてそのすばらしさを。