無慚無愧(むざんむき)の自覚

 高田短期大学で、生まれるということについて講演しました。死産の赤ちゃんを産み落とさなくてはならなかった母親の話、ガンが再発する危険性を知りながら娘を産み、できる限りのことを教え亡くなっていった母親の話、病気の命を懸命に生きて亡くなっていった中学生の作文などを紹介しました。講演後、短大生からたくさんの感想をいただきました。

 「『生まれたかったけど、生まれられなかった命がある』『生きたかったけど、生きられなかった命がある』恥ずかしくなりました。これまでの自分に。日々の幸せをかみしめて、これからの人生に華を咲かせたいです」

 「今、私が思っていること、感じていること、考えていること…とてもちっぽけで…意識が変わった。私はぜいたくだ。もっとたくさんのこと、当たり前のことに感謝しよう。もっとたくさんのこと、当たり前のことを大切に生きていこう」

 真剣にいのちと向き合った人たちの生き様は私たちを目覚めさせてくれます。恵まれている自分に。そのことに気づいていなかった自分の愚かさに。

 今、自分がこうして生きているということは、母が命をかけて産んでくれ、家族が愛情を持って育ててくれたおかげであることを、本当には分かっていなかった自分。恥ずかしい自分です。恥ずかしいことに気付いてすらいなかった無慚無愧の自分。無慚無愧とは、恥ずかしいとも申し訳ないとも思わないことです。『涅槃経』には「無慚無愧の者は人ではない」と説かれています。しかし自分が無慚無愧であることに、自分で気付くことはできません。

 自分が生きているいのちがどれほど尊く、かけがえのないものであるのか、そしてまわりからどれほど恩を受けていたのか知らされた時、無慚無愧であったことに気付かされます。そして、だからこそ、変わろうと思わされます。受けた恩に感謝し、この尊いいのち、大切に精一杯生きていこうと。

「よびごえ」第60号 秋彼岸号 (平成25年9月15日刊)