願われている

 東日本大震災、そして福島原発事故から1年が経ちました。しかし、今なお復興は遠く、放射能による汚染の影響は、これからも長く重く日本にのしかかると思われます。

 私たちが生きているのは、何が起こるか分からない無常の世界です。それはすでに、2500年前に誕生されたお釈迦さまが、くわしく教えてくださっていたことです。

 それにも関わらず、無常と聞かされ、すべて移ろいゆくものと教えられながら、変わり果てた大地を前にしては、ただ呆然とするしかない私でした。

 けれど、そういう逃げ出したくなるような現実によって初めて、身に沁みて知らされることもありました。命のはかなさとその尊さを。当たり前と思っていたことが、どれほど有り難いことであったのかということを。

 つらく苦しい現実によって初めて、本当には分かっていなかった自分の愚かさに気づかされます。分かっているつもりになって、実は全く分かっていなかった自分の愚かさに気づかせてくれるはたらきを、真宗では、他力と呼んでいます。

 他力とは、他人の力のことではありません。他力とは、阿弥陀仏の願いの力のことです。阿弥陀仏の願いとは「すべての人を救いたい」という願いです。自らの愚かさに気づき、本当のことに目覚めてほしいという願いです。人はいずれ死ぬんだよ、限りある命を生きているんだよ、二度と戻ることのない、かけがえのない今を生きてるんだよ、そして一人で生きてるんじゃないよ、みんなに支えられて生きているんだよと、私たちに教え続けてくれています。どんなに苦しいことが起こってきても、「大丈夫、いつもそばにいる、絶対離れない、必ず救う」と呼びかけ続けてくれています。自分のことしか考えていない私だから。愛憎にまみれ、本当に大切なことをすぐに見失ってしまう私だから。だから阿弥陀仏は、私から離れず、いつもそばにいて教え続けてくれています。みんなに迷惑をかけ、みんなに支えられて、生きていることを。そのことに気づいておくれと願われています。

 そのことに気づかされた時、自分を支えてくれているまわりへの感謝や、たいしたことはできないけど、せめて自分ができることはさせてもらおうという思いが自然と生まれてきます。誰かのために生きる人間としての本当の心を取り戻させてくれます。私を本当の人間へと回復させてくれるはたらき、それが阿弥陀仏の願いの力です。

 誰もがその願いの中で生かされています。相手の痛みを本当には共有できない私たち、たとえ自分の子どもであってもその人生を肩代わりすることはできない私たちです。けれど、だからこそ、阿弥陀仏は私たちを救おうとされています。つらく悲しい生死の苦海が、実はそのまま阿弥陀仏の願いの海なのです。一人一人あなたの人生を輝かせて生きておくれと願われています。自分が自分であることに満足し、生まれてきてよかったと思えるように。たとえどんなにつらいことが起こってきても、それを糧として生きていけるように。限りある尊い人生、精一杯生きておくれと、私たち一人一人が阿弥陀仏に願われています。

「よびごえ」第56号 大遠忌記念号 (平成24年3月15日刊)